大和心魂 -貴斐久美子公式サイト-

構成作家の過去事情記録


2011/11/11 19:13

 初イラストレーションの仕事のカラーのサンプルを無事に上げてから、自動車免許の更新でまた実家に帰らせてもらってました。違反は滋賀で原付きでもしたことがあるし、その時は(当時には相当痛かった)罰金も払ったんですけど、今は用事で帰郷中に親と外食に行った時は、1人だけ酒を飲まずに帰りは運転するせいもあってか、今のところは何とかゴールドです。
 ついでに高校時代からの友達に、いつもの寄り道に付き合ってもらって、初めて立ち寄った店で軽く覘(のぞ)いた本屋のコーナーで、今回の仕事に私の初心者の知識と目線に参考用の本を何冊か購入してきました。その友達に、感謝をしながら何度も言ってるんですけど、よくペーパードライバーにならなかったなと。

 京都に帰ってきてから1回目の精算書をやっと提出して、同じ国内移動のはずなのに、時差ボケ状態に(苦笑)。

 基本は全部、丁度10年くらい前に私がやったことを、改めて独りで真面目に取り組むだけなのですが、これから追加でイラストレーションのカラーを、またラフから構成を考えて提出です。それと相手の方の要望で、急遽、漫画を投稿前に別途で描くことになりました。勿論、商業投稿作品と、この仕事が違う未発表作品なのは、私の中では暗黙の条件ですが、
“漫画を描くなら、完全に読み切りの仕事でやらせてほしい。”
という私の明確な要望も含めて、今まで投稿はしたことのない(≒本職としては描きたくない)四コマ漫画を、イラストレーションに追加して数本上げることになりました。高校時代の部活の(※途中で色んなことに嫌気が差して、今でも後悔は全く無く辞めた)マネージャーから、大学在学中に接客(※旅館)のアルバイトに移った時の感覚に近いです。

 それ以前に少年漫画すらも、投稿をしたことがないんですけどね。少女漫画は10代後半〜20代前半に、アバウトに言うなら(投稿作は)5作以上10作以内。持ち込みが3社以上。移動教室参加は1社ですが1回じゃありません(※今の担当がいる出版社です。総合的な回数も1番多いです)。暇な方がいたら調べて下さい、私の口からでも聞かない限りくだらない話です。でも少女漫画は担当が付かなかった。移動教室で(今の初代)担当以外の同社の編集者に勧(すす)められて、少年漫画家を考え始めましたから。ちなみにその方が薦(すす)めて下さったのは、厳密には青年漫画だったと思います。そういう話も兼ねて少年(に移行)。10年前の私からしたら、まさか自分が少年漫画に飛ぶとはですよ。理由は真面目に描きたくなかった(※10代は画力が足りなかったのも勿論だ)からです。アバウトに言うと、昔は読者を飽きさせない絵以上に、話を創る自信が、ゼロに等しいくらい全く無かったんですね。勿論、少年漫画に初投稿が、少年漫画は初作品です。

 初めてづくしなことばかりですが、あくまで私は避けないほうが良い、(私に)師匠はいない(が)アシスタント期間みたいな経験だろうなと思ってます。



2011/10/12 01:24

前記録に、レイアウトで気に入らないところがあったので、また修正をしました。
文章と内容は全く変わってません。

何を変えたか厳密に言うと、ソフトじゃなく手打ちHTMLタグの抜けミスです。



2011/10/10 20:49

 男性美容師の虚言が嫌で、髪カットを1年してないが京都で2店舗で2回目の私です。和歌山で学生時代には、そんなことは1度もなかったのですが。まぁ最悪、職業も職業ですし、ストレス発散に自分で自分の髪をボブにでも切り落としますから、読者の方は心配しないで下さい。周囲に言われてる通り孤独でとても気の毒な、可哀相な世界にいる私の今年の夏は、家庭の事情で盆前から実家で家族の墓参りに行くことになったり、サンプルでいきなり今まで挑戦したことがなかった、ハイクオリティー(高品質)仕上げのカラーを提出する約束を取ったりな日々でした。そうそう、ついに年齢の危機も兼ねて、今年から本名で仕事も始めます。同姓同名が多い本名なので、ここで本名の仕事報告もしますね。ただもしここで報告が出来なくても、基本的に私の本名でも絵を描いてるのは、特に私だと思います。

 漫画活動のほうのネームは、ちゃんと今年に完成するのかなー☆ ちなみに完成しないですから。既に漫画のネームは、数ヶ月単位で止まってます。漫画以外のほうのイラストの仕事も、早く要領を掴んで、漫画のネーム制作と同時進行な日々にしたいのですが、どうなるんでしょうね。関西人には、
『どないや』『バランスを考えよう?(※たぶん私より賢い人限定)』
と思われそうですが、今まで予算の都合でも、時間の都合でも、組み立て家具すら作れない人生だったので(※理由に興味がある人は、[スクリーントーン]+[値段]で、検索サイトでキーワード検索でもして下さい)、家具の組み立て1つで大挫折感を味わう29(歳)の夏でした。道行くチャリの男子高校生集団に『オマエラ、今はオカンに頼れてえーわな』とイラッときたり、ホワイトボードに「(※私が)ブサイク」と書き始めるほどの事態になってました。漫画家って妄想癖がいるのが嫌な仕事だとしみじみ。

 他の近況は、特に今年に身内の不幸があったわけではないのですが、今年から暑中見舞い葉書を出せてません。

 2000年3月からの11年分の私の1人暮らしの荷物を、やっと今年から整理が出来てるんですよ。今んとこ(※出版社の編集の)担当の存在に感謝が出来てるのはそれくらいですね。今回は特にエンターテイ(ン)メント的な部分で、違法にならない方法の模索に、予算と時間を費やしまくってます。それよりもっと酷い話が、中学時代以来くらい? 今年の4月辺りから久々に参考資料目的で、強制的にテレビを見るようになりました。大学在学中もテレビは見てたが、もっぱらレンタルかダビングばかりだったんですよ。今でもリアルタイムでテレビなんて、実家でニュースくらいしか見れません(※正しくは見てしまうだけです)。京都でテレビは、区切りを付けてまとめて見てます。

 それで初めての本名でのカラーの仕事のサンプルで、洋画家にはバッシングしか受けなさそうな話ですが、この歳でやっと人生初の水○り(※1)を体験してます。

※1…○に入る文字が何かは、読者の方の御想像にお任せします。
(※高校は部活、大学は授業でやってますが、私は好きな人間に頼んで、やったことがありませんでした。)

 普通に漫画を描いてたら、どう叩かれようが水○りなんて、先ずしなかったと思います。他に決算以外に精算という言葉を覚え始めました。ある意味で少ない20代で体験しておいて良かったですが、この歳でこんなことに対してだけはプレッシャーがハンパない私って、まだまだ漫画描きとしては浅いと再実感。30代前半は更に勉強の1年にしなきゃマズいと、素直に謙虚に思う近頃です。9月に行くと話してた神戸行きも、今の私にはやっぱりもう無理でした。たがが私1人ごときが行けなくても、チケット代の一部はちゃんと被災地に、ややこしくない会社から義援金として寄付されるみたいですよ。私の今は、カラーの提出原稿(※確定ではなくサンプル)にも、気持ちを切り替えて頑張りたいです。



2011/07/20 19:07

前記録に関わったの「わ」が抜けてたを、日本人として修正更新しました。
普段は編集者以外には、こんなに神経質じゃないですよ。



2011/07/20 18:50

 公式サイトでは喋らない期間が、4ヶ月に更新が出来ました。今回は変なところで改行するスタイルを、試しにやめてみることにします。ネーム制作期間中は、神経質になるのは分かっていたのですが、神経質になり過ぎて、他人と現実世界でしかとても会話が出来そうもありません。ちゃんと制作活動の話で、間で何があったのか、あくまで一部抜粋話です。

 相変わらず私には、収入もアシスタントも無いので、別出版で収入を入れ始めることに決めました。詳細は公式サイトでも、場合によりの紹介をしていくので、私の活動を待っていてくださってる、他人に言わしめさせたところによると、希少価値らしい読者の方がもし存在したら、どうかその報告の日が無事に来るのを祈りだけしてやって下さい。ソッチの話は、私がメインじゃなくて、初めて、
“他人がやりたい要望を取り入れる”
という仕事をする(出来る?)ので、話はそう簡単に早く終わらないと思います。たぶん私も勉強のほうが大きいですけど、漫画制作の息抜きも兼ねて、仕事を進めていくつもりです。

 勿論、同時進行で投稿作も上げ切ります。私がプロになれない人間だとしても、プロになれない理由と、私は新たに別れもきちんとしたいですから。高校時代に野球部マネージャーをやめる時も、こんなことばっか言ってました(苦笑)。続いたのは校内でも校外でも、美術部くらいです。私に関わったことがないはずの日本人が、自分達の著作権を主張してる期間≒私は関わったことがないし赤の他人の期間です。一緒の過去の記憶は全く無いし、私の作品に一般人の知り合いの存在が残っても、赤の他人の芸能人の存在が残ることは有り得ません。日本人の同世代の有名人の記憶が、私の20代には全く無くても、せめてもで海外の30歳の女友達に、誕生日祝いくらいは言おうとしたりもしてました。ちなみにイメージでは平和に聞こえてるかもしれませんが、恐らく東日本大震災のような事情で、昔は使えたメールが届きませんでした。亡くなっても葬ってくれる相手がいるのは、生きてたのに不幸はなかったと思います。中国の有名らしい大学も、きちんと卒業をしてるのにね。ただ、私と中国社会の話にまだ光は、差別もなく私と現実の時間で付き合ってくれた、中国の同じ歳の男性の知り合いには、こうなってしまった件も含め、今でも感謝してます。日本の編集部よりシビアに、中国人に突っ込まれましたよ。そうそう思い出した…。私に、「母国語(日本語)以外は、(ビジネスなら常識として)話せないの?」と言ったのは、彼だったような。女友達にもらった手紙の内容からして、中国人の彼女はいたし、中国に行った時もそんな話しか(?)してないと思います。恋をしてない期間って恋人がほしいと思うけど、後々から考えると、男女問わずで友達とマトモに付き合えてたの、恋をしてない期間くらいです。

Woh! I went to China in July 2002.
I had to my works, then.
So, I can believe Chinese friends than Japanese marketers.
It's very black Japanese (American) jokes from one Japanese.

日本語で言えないことだけを、(英語・Englishなら使えるような相手に向けて)初心者の英会話練習しちゃうかもね。

Because, I was worrying this comennt on my Web.
But, Japanese mass communication didn't allow freedom me in Japan.

 ひょんなことから、(※あくまで日本の)被災地のオークションも当てたりしてました。義援金とか、エールとか、あくまで私の立場からするとどうも疑問なところがあって、実は私は今日までの段階では、1回もしたことが無いんです。勿論、日常生活で、食料品が被災地優先になったり、そういう規制は受けてますが。被災地に対して、
『本当に私でも出来ることはないか?』
とは常に考えてはいるけれど、こういう時に、先ず自分が制作者になった性を抱いてしまい空しい限りです。私を通すことで自分の痛みを感じずに、若い世代の子も、私くらいの世代の過去を、改めて見詰められる時間を作れたらと思います。

 何でここまで漫画自体の完成が遅いかですが、元々、趣味だけは、
『それはちゃんと趣味か?』
というくらい、ハマるとトコトンのめり込んでしまう人なので、漫画を商業誌に投稿で描き上げることで、新たに学ぶというより、今が大学院生みたくな感じで、漫画投稿が大学自体の卒業レポートみたくになってきました。今後にも勿論、卒業レポートを社会で役立てはするが(※昔の関係者にも納得してもらえる言葉で話すと、卒業作品をブックにして、メディア関連会社に受かる感じで)、そこまで学んだ集大成を、投稿作品に詰めようとするみたいな。実際は大学院の生徒が漫画家になるなんて、よっぽどのことがない限りないでしょうから、こうやって公式サイトで呟いてるのですが。改めてどんな感じでネームを作ってるかというと、自分を100%出し切ってるというより、元々投稿作品では常に90%くらいだった自分を、90%のままで成長させてるみたいな感覚で進めていってます。ちなみに出し切れない残りの10%が何なのかは、完成後の担当編集者の評価だと思い込んでます。だからの「今の状態を綺麗に例えるなら、大学院生状態」の、あくまで比喩話です。

 私の公式サイトの省略日記でも、そのうちいつにどこへ行ったか、選手側の肖像権には関わらない方法で公開もされますが、あまりに誰からも私の誕生日を(心の底から)祝ってもらえないので、私が28歳最後の日のカウントダウン記念に、初めてサッカーの試合を1人で大阪に見に行ったんですよ。その件もあってか、スタジアム(グラウンド)で活躍するサッカー選手には、勿論、男女年齢は問わずで夢中で応援する気力が出ても、テレビ活躍だけするサッカー選手には興味が出なくて、私は代表戦の試合を見てすらもいませんでした。スポーツの練習を応援するのはむしろ今でも消極的です。私にはスポーツに関しては、試合だけを応援させて下さい。世間の話では優勝をしたらしいですが、そんな腐った大人になってしまった、辛うじてまだ29歳のはずの私です。

 当たり前なのかもしれないけど、日本女子の代表(Korean English jork = Japanese soccer is varsity in Japanese women by Japanese mass media, OK?)のサッカーの活躍で、私は私の応援をしてくれる人間には弱いなと、再確認したって感じでした。昔から運動神経も悪くて、昔は何も無かった私には、日本女子の代表選手のように強くないし、強くなりたいとすらも思いません。今の私にはとても出来ない、明るい話題に感謝してます。この勢いでサッカーでも、ますますの飛躍を、私も勿論、完全に部外者でありながらも、選手以上の期待をしています。私には自分のことで出来る明るい話題なんて、何1つすら無いですから。せめて私に出来る明るい話題は、私の原稿の話くらいですよね。高校時代に学校以外の活動の何が息抜きだったかって、在学していた高校と違って、私の見えない未来に、初めて応援をしてくれたからかな。私の中に強さがあるとしたら、そんな存在の話に対してだけ。自分に対してのプライドなんて、自分の笑い(※ジョーク)に対してくらいしかないですから。今更ながらに、他の(大阪の本校とかのエリートの)人間からしたら、(私にとっても)それだけの関係でも、私にはその存在が当時の私の唯一の息が出来る場所で、本当に嬉しかったんだなと、この歳になってまた繰り返し気付きました。

 (しかし私の話のホームは、高校〜大学在学中の和歌山と大阪ではないのですが)9月は(やっぱり)、
『見ず知らずの相手よりも、私を(※突然ですが会ったのは京都で)応援してくれる、神戸(※兵庫)の昔の知り合い(※同業に近い人間だけでも複数)に会えたら良いな。』
でチョイ神戸に遠出してきます。その勇気をくれた日本女子の代表チームのサッカー選手には、本当に本当に、心の底からありがとう。試合は見てすらもいない身分なのですが、私だけじゃそんな勇気は謙虚な発言じゃなく、とてもじゃないけど本心で持てなかった。身内話になってしまいますが、アレは本当に私が監督で、向こうがチームみたいな状況やったんかな。

 わざわざオンラインで話すほどの話ではないのですが、30歳を境に10代の話を作品以外で引き摺(ず)るのはやめようかと思います。私のほうは、30歳の誕生日を祝ってくれそうな相手がまた消滅していくみたいな感覚なので、今年もどうやって自分で自分だけを祝えるかに挑戦したいです。

 今は漫画に恋と言わず、貪欲(どんよく)に色んなことに恋をしてようかと思います。切手とか漫画とか、無機質なモノに対してじゃなく、漫画家志望としても人間に対して恋をしたい。改めて何で私が人間不信に陥らないのか、自画自賛。




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